備後歴史雑学 

毛利元就38「二つの大河・吉川と小早川B」

「元就の死と輝元」


 元就は11歳の時一人の客僧に念仏の秘事を授けられてよりこの方、毎朝朝日をおがみ念仏十遍
をとなえる事を、一日も怠らなかった。
 朝のその礼拝が途絶えたのは、元亀2年(1571)の夏のことであった。
 6月14日午前8時頃、生涯二百六十余度の合戦をしたという、この稀代の智将が息をひきとっ
た。亨年75歳。今でいう食道癌だといわれる。

 隆元が永禄6年(1563)、41歳で病死した時、まだ11歳だった子の幸鶴丸は、二年後に元服し
て輝元と名乗り毛利家の当主に立てられた。
 元就は、この若き当主の成長を老いらくの楽しみとした。

 孫輝元の初陣も元就が後見し、尼子氏の本拠富田城を開城させ吉田に凱旋した輝元を、頼もしく
思うとともに安堵したのであろう。自分はこれより後見役を退き、元春と隆景、及び信頼する重臣福
原貞俊に譲ると言い出した。
 輝元は怒ったそうだ。父隆元は40歳まで万事に後見してもろうたに、齢15になったばかりの自分
を見放されるとは、あまりに無情のしうちではないか、というのである。
 孫に頼りにされた元就は、決して悪い気はしなかったであろう。むろん彼は引退するのを思いとど
まった。


 その輝元が、はじめて総大将として出陣したのは、元就が没する前年元亀元年正月のことであ
る。
 尼子氏を復興するべく山中鹿介が擁立したのは、尼子経久の次男である新宮党・国久の孫で、京
都東福寺の僧になっていた孫四郎を還俗させ、尼子孫四郎勝久と名乗らせ、主家再興の兵を挙げ
たのである。

 輝元は総大将として、この尼子再興軍を鎮圧するため出雲に攻めた。戦いには例によって、毛利
の両川が大軍を率いて加わった。
 毛利軍は雪を衝いて行軍し、富田城の包囲網を解くと、尼子方の城砦を次々と抜く。
 尼子勝久らは、わずかに高瀬と新山の両城を死守するばかりに追い詰められた。 元就が吉田に
おいて大病に罹ったという知らせが陣中に届いたのはその頃だ。

 輝元と隆景は、それぞれ毛利と小早川の主力軍を率いて帰国すると、病床の元就の元に侍った。
 元就の容態は一時は見違えるほどに快復したが、やがて彼らに看取られながら天寿を終えたので
ある。
 この間、出雲に残留して尼子氏の残党の掃討に当たっていたのは、吉川元春である。


 尼子再興軍は、毛利・小早川の主力軍が撤退した機に乗じて衰勢を挽回せんとしたが、元春の率
いる六千の大軍は終始攻勢を続け、ついに高瀬城も陥落した。
 それからおよそ三か月後に、元就の訃報が届いたのである。元春は実父のいまはの際に孝養を
尽せなかった自分を悲しんだが、その涙の乾く間もなく高瀬の陣を発した。
 いよいよ尼子残党を殲滅する総仕上げだ。それは亡父の弔合戦でもあった。

 元春は尼子一味に味方した大山の衆徒教悟院を討つと揚言して軍を伯耆国へ進めた。
 これを知って心中ほくそ笑んだのは、伯耆の末吉城に籠る山中鹿介である。元春が来攻したら、
所々に分散させている軍勢を束ねて、衆徒らと呼応して挟撃してくれよう。
 勝算わが掌中にあり、と鹿介は信じて疑わなかった。
 その知勇、衆にぬきんでた鹿介だが、武略にたけた元春の術中にはまってしまう。


 元春の軍勢は、じわじわと城を囲み返猪垣を結い、井楼を組み上げ城中を眼下に見おろして、息
をも継がせず攻め立てた。
 油断しきっていた鹿介は、この急襲に防戦のすべなく降参を乞うて出た。
 鹿介このとき27歳。身の丈六尺三寸の大男で、太い針のような髭面であったそうだ。
 このようなくせ者を生かしておいては、毛利の行末の禍根となろう。こう判断した元春は「すみやか
に山中の首刎ねよ」と命じた。
 ところが、敵ながらかねて鹿介の器量を買っていた、宍戸隆家と口羽通良が弁を熱くして助命を懇
請した。
「強敵なればこそ、これを味方につければ、毒薬変じて良薬となるに相違ない」というのだ。
 その熱望する姿がいかにも真摯にみえたので、元春もついに折れて、鹿介の身柄を両人に預ける
ことにした。同時に元春は、周防と大山の麓に、合わせて二千貫の領地を鹿介に与えるように命じ
た。
 甘露を与えて、その尼子への忠誠心を骨抜きにしようと策したのである。

 かくして元春は伯耆国の尼子勢力を一掃すると、出雲に取って返して新山城を攻め、尼子勝久を
追い払った。
 こうして元春の武略により、尼子再興軍は潰えたのである。
 しかし、尼子再興に執念を燃やす鹿介は、その後二度挙兵することになる。


 元就の死後、西方の大友氏とは停戦状態を続けながら、翌年には東方において主家浦上氏と取
ってかわり兵威を張っていた、宇喜多直家を攻めて、これを麾下に入らしめた。
 それゆえ、山陽における毛利氏の版図は、備前・播磨・美作方面にまで東進した。
 その東方には、破竹の勢いで台頭してきた、織田信長の脅威がある。


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