備後歴史雑学 

毛利元就39「二つの大河・吉川と小早川C」

(天下布武)織田信長との接触


 元来、毛利元就には天下の兵馬の権を取ろうという志は毛頭なかった。元就は天下統一の道より
も、むしろ天下を五つに分けて、その一つを保ちつつ栄華を子々孫々長久たらしめる道を、尊しとし
た。
 その遺志は輝元及び毛利両川に伝えられたはずであるが、元就死後の毛利一族に歴史はやが
て、(天下布武)に燃える織田信長と対決する道を選ばせる。


 元就が没して中一年おいた天正元年(1573)、虚名の将軍に我慢できなくなった足利義昭は、信
長を倒すために二度兵を挙げたが、たやすく制圧された。
 しかし、義昭の信長に対する怨念は消えない。諸将を糾合して、あくまで信長に抗おうとした義昭
は、最も頼みとしていた武田信玄が亡くなると、西国の雄、毛利氏に援けを求めるようになった。
 背後では依然として武田・上杉の強敵が虎視眈々と隙をうかがい、近畿においては、石山本願寺
などの反織田勢力がひかえるこの時に、信長としては毛利氏と事を構えるつもりはなかった。

 毛利とて同様である。先に大友氏との和平に尽力してくれた義昭の依頼を、黙視するわけにはい
かぬが、毛利一族にはまだ信長と覇を争う覚悟はできていない。
 そこで、毛利氏は外交僧安国寺恵瓊を使者に立てて、義昭の処遇について織田氏と交渉すること
にした。

 義昭が安芸国に下向するのを拒むこと、ついては義昭と信長の間を和解させ京都に帰還させるこ
と、これが恵瓊に託された毛利氏の方針であった。
 会議は同年11月、泉州の堺で開かれた。このとき河内の若江城から出向いた義昭と恵瓊は会見
したが、義昭の態度があくまで強硬だったために、会議は不調に終わった。
 会議には織田方の使者として出席した一人の武将について、恵瓊の書状にはこう記されている。
「さりとてはの者に候」(さすがに利け者である)羽柴秀吉であった。
 義昭は安芸には下向せず、紀州由良の興国寺へ向った。


安国寺恵瓊の出自は こちら 


 毛利氏が織田信長との開戦を決定したのは天正4年(1576)5月のことである。
 堺の会議からその時まで、毛利・織田の両氏は表には親善関係を装いつつ、裏では互いに策動し
続けてきた。
 毛利は、織田が自領と主張する但馬を侵した。対して織田は、毛利領の因幡・備前・備中に触手
を伸ばして領内攪乱を策謀した。
 足利義昭が紀州から備後の鞆津に忽然と来着し、自分を奉じて織田氏と開戦するよう毛利氏に求
めたのも、両者の隠然たる確執を熟知していたのである。


 天正2年、織田信長からの密書が備中の覇者、松山城の三村氏に届き、
つぎの宛行状を与えた。
「このたび公方に背き、われらに同心いたし、毛利が公方を押したて上洛いたすを防ぐならば、備
中、備前両国をあてがうべし」
 三村元親はおおいに喜び、一族郎党を集め信長の書状を披露した。
「こんどの織田の誘いは千載一遇の機というべきものじゃ。宇喜多方は公方から合力を求められ応
じたと聞いとる。儂は直家めに親父殿と兄者を討たれたけえ、あやつは二代の怨敵じゃあ。信長か
ら一味の誓紙を貰うたからには、公方を攻め、宇喜多を討ち滅ぼして恨みをはらさにゃあ、いけんの
じゃ」
 ここに、公方足利義昭方の毛利氏・宇喜多氏対織田信長方の代理ともいえる三村氏による、備中
三村一族の家運を賭けた戦い、備中兵乱が展開されるのである。


「備中兵乱」は こちら 


 毛利氏が義昭の命を奉じることに決してから、毛利水軍は木津川口で織田水軍を破り、包囲され
ていた石山本願寺に兵糧を入れることに成功した。
 かくて、毛利・織田両軍の足かけ七年にわたる戦いの端が開かれた。
 その年(天正4年)の11月、輝元は郡山城中に首脳を集め、名実ともに東上戦を開始することを決
めた。

 その作戦は、第一に、輝元と隆景が義昭を奉じて山陽道より、備後・播磨を経由して京に入る。
 第二に、元春が山陰道より但馬・丹波を経由して、京の背後を衝く。
 第三に、能島・来島・児玉などの毛利水軍諸将が、淡路の岩屋の城塁を拠点として、水島灘を経
て明石海峡を横切り、摂津か和泉に上陸して、大坂を衝く。
 この作戦は後世「三道併進策」と呼ばれた。
 輝元らは、さらに関東の上杉・武田、九州の松浦・龍造寺らの諸氏と連絡を取り、反織田の大同盟
によってこの三道併進策を実現せんとした。

 これに対抗する織田信長の作戦は、三方から毛利軍を牽制して、東上を阻むことにあった、
 播磨には羽柴秀吉を出動させて、毛利氏麾下の宇喜多直家を威圧する。
 丹波には惟任光秀・長岡藤孝を動かして、対面する毛利方の波多野氏を討つ。
 九州の大友氏と通じて、毛利の後背に脅威を与えるというものである。


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