備後歴史雑学 

「西国の雄」毛利元就19「対陶戦:厳島合戦A」

9月28日援軍:沖家(村上)水軍三百艘


 元就の陶戦略は、宮尾城を囮に晴賢の軍勢を厳島へおびき寄せ、陶軍に奇襲攻撃をかけ、厳島
海域を封鎖して陶軍を潰滅させることであった。
 したがって、元就にとって最も必要としたのは水軍力の補充であった。
 ところが現状では、児玉就方・飯田元著とその触れ頭山県就相・福井元信の率いる佐東川ノ内警
固衆と、浦(乃美)宗勝の率いる小早川沼田警固衆、その沼田衆との誼で早くから加担を申し出て
いる因島村上衆。それらを全部合わせても二百艘に及ばぬ。
 しかも、この因島村上氏にしてからが、同族の能島・来島両村上氏の向背如何では、どう転ぶか
わからない。
 どうしても沖家(能島・来島村上氏)に援助を要請しなければならなかった。

 そこで元就は小早川隆景に命じて、沖家と縁故関係にある浦宗勝を能島へ派遣して、沖家水軍
の来援を懇請させた。
 しかし、元就が草津に着陣した段階になっても、沖家水軍の向背が明らかではなかった。厳島囮
城の陥落は、今日明日をも知れないのである。

 26日元就は隆景に親書を送り、急ぎ沼田水軍の船団を草津沖へ回送するよう命じた。そして、一
日も早く沖家を味方につけるよう、一層の尽力を要請した。
 翌27日になっても、まだ沖家水軍の船影は見えない。もうこれ以上は待てない。待てば宮尾城は
敵手に渡ってしまう。 
 元就はこの日、再び隆景に親書を送って、
「もはや沖家水軍の到来を待つべき余裕はない。すぐさま警固衆全艘を草津沖へ派遣し、川ノ内警
固船と共に宮尾城を救援するように」と命じた。


二万の陶軍対城兵五百、落城寸前の宮尾城

 沼田水軍が草津沖に勢揃いすると、元就はすぐさま隆景に隆元・元春を加えて軍議を練った。
 そして、本陣を草津の西南方12キロの位置にある地御前火立山(じのごぜほたて)へ移した。
 いよいよ厳島渡海を決行するのである。

 ところが、元就が地御前火立山へ本陣を移した9月28日になって、半ばあきらめていた沖家水軍
三百艘そ船団が廿日市沖へ姿を見せた。
「の旗」を潮風になびかせて、船団は威風堂々波濤を蹴って進んでくる。
 元就の喜びが如何ほどであったか。
 後年元就が、当時を述懐して隆景に与えた書状によると、
「来嶋扶持を以て隆元我等頸をつぎたる事候」といっているくらいである。


援軍沖家水軍の三百艘の大船団

 9月晦日酉の刻(午後六時)暴風雨は好機。出陣せよ!

 元就は地御前山火立岩付近に結集した船団に出陣を命じた。
 それまで本陣のあった火立山から海岸線に全軍を移し、午後四時頃に夕食をとるように命じた。
 この日は朝から川ノ内警固衆を呼んで、渡海の密命を伝え、廻船を揃えさせた。船一艘に水夫三
人あて、一艘に五十人乗せて三千人運ぶとしても、六十艘の船団が必要である。

 渡海にあたって、元就から輸送にあたる川ノ内警固衆への仰せ渡しは、おおよそ次のようなもの
であった。
「出陣の者は組毎に名前を書かせて、各船に組毎の合印を立てさせる。法螺貝を合図に、各組その
合印のある船に乗り込み、混雑を避けること。二十間三十間の間隔をおいて順番に漕ぎだす。一夜
陣のことであるから、将兵が腰に付けてある兵糧以外は、船に積んではならない」

 また船事法度として、
「船に篝火を焚かず、元就の乗る本船にだけ一灯火を用いて、他の船はこれを目標にして航行せ
よ。掛け声、櫓拍子等は一切禁止する」
 大野瀬戸から西に迂回して、厳島神社正面から進入を企てる沖家水軍に対しては、
一、宮内より先、夜に入り候て大野の山べりを玖波の方へ行き過ぎ、西の方より厳島へ乗り入れ申
すべく候事。
二、厳島沖を乗り過ぎ候時は櫓数無用にて候。忍びに通り申すべく候事。
三、掛声櫓拍子など停止に仕り、高声に物申すまじく候事。
 という布告が伝達された。


 ところが、出陣間際になって異変が起こった。
 酉の刻を前にして暴風雨が激しくなり、暗黒の天地に雷鳴がとどろきはじめたのである。
 暗黒が海上に低く垂れ込め、視界の遮られた海面に波浪が白い牙を?いている。
 船頭たちは、この荒れ模様では櫓・櫂が波にさらわれて船を進めることが出来ない。仮に船を海上
に出したとしても、暗闇のため無事に目的地に着くことができないというのだ。それに転覆の危険が
ある。
 将士たちの間からも渡航の延期の声が起こったのも当然であった。

 だが、この要求を元就は断固として斥けた。
「今日は最上の吉日であり、西風は吉例である。この風雨こそ天が我らに加護を垂れ給う御しるしで
ある。この暴風雨で敵はきっと油断して警戒を怠るであろうから、まさに出陣の好機である。この好
機、逃してなるものか。全軍、速やかに出陣せよ!」
 この元就の一言で、ひるんでいた将士たちの士気が俄かに上がり、われ先に渡海船に乗り込んで
船頭を急き立て、勇躍征途についたのであった。


暴風雨の中出陣する毛利水軍


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