備後歴史雑学 

「西国の雄」毛利元就20「対陶戦:厳島合戦B」

9月晦日亥刻(午後十時)元就本隊。包ケ浦に上陸


 風は西風で進行方向とは異なり、横殴りの強風であった。
 波浪が荒く渡航は困難を極めたが、渡航半途でようやく風波が凪いだ。渡船の作法はすべて軍令
どおり。
 かくして風もおさまり、月も雲間から姿をあらわしはじめた戌亥の刻(午後九時)、総帥毛利元就を
乗せた第一船が、包ケ浦へ到着した。
 すぐさま海岸で篝火を炊き、その火を目印に全軍が包ケ浦へ上陸した。
 全軍が上陸完了したのが、亥刻(午後十時)であった。


 いよいよ前方に立ちはだかる博奕尾(ばくちお)の峰を越えて、陶軍本陣のある塔の丘へ襲撃をか
ける。
 元就はその博奕尾登頂を前にして、全軍を砂浜に集結させ、輸送船団の船頭にたずねた。
「ここは何と申すところか」
「ツツミガウラと申します」
「さらばあの山は」これから登頂する西の山を指さす。
「バクチオと申します」
 すると元就は、一同の者を見回して叫んだ。
「皆の者、よく聞け。戦いはわれらの勝利ぞ。鼓ケ浦といい、博奕尾といい、共に敵を打つという縁起
のよい地名である。明日の戦いでは、必ず陶殿の軍勢に打ち勝つであろう」
 かくして一兵も損なうことなく厳島上陸作戦を終えた毛利軍本隊であった。


 9月晦日深夜、船を返し背水の陣を敷く
 元就は水軍大頭児玉就方を呼んで、夜の明けぬうちに兵船を一艘も残らず廿日市へ廻送せよと
命じた。
 この時就方は、御座船だけは残して置かれるよう言上したが、元就はその御座船こそ真先に漕ぎ
戻せという。
 頭衆の山星就相が重ねて「万一の用心に是非一艘だけでも」というと、元就は一向に取りあわな
かった。
 そして、漕ぎ戻る兵船の船頭に、
「船が陸に着けば、地御前・大野・玖波表へ罷り出て、幾千となく篝を炊くべしと相触れ申し通ずべ
し」
 と、いい含めたという。


 博奕尾登頂の先陣は、吉川元春の安芸新庄勢である。
 元就登山に先立って将兵一同の手拭に谷川の水を含ませた。
「諸士峰へ登る時は、喉渇き息も継ぎ難ければ、此時この手拭の水を口へ絞り入れよ」というわけで
ある。
 厳島は古来斧鉞(ふえつ)の入らざる神域であった。風雨こそおさまったものの、四辺は漆黒の暗
闇であった。
 かねて家臣を遣って偵察させ、およその道順は知っていたが、暗闇を迷わず博奕尾へたどり着く
のは極めて難渋である。
 折から男鹿が一頭跳び出してきた。毛利の軍勢を見て驚き、再び林の中へ入った時、先頭にいた
元就が素早く見つけて大声で叫んだ。
「鹿は明神の御使者である。いま鹿が出て来てこの林の中に入ったのは、必ずや明神がわれらを導
き給うからであろう。それ者共、鹿の後を追うて進め」
 鹿は道のないところは行かぬ。山中、所々に獣道がある。元就はこれをよく知っていたのだ。

 松明の火を頼りに、やっと毛利軍の将士たちが山頂の一角にたどり着いて、後ろをふり返り包ケ浦
に目をやった。
 その時、将士一同はわが目を疑い固唾をのんだ。その沖はるか毛利軍を運んだ輸送船団が一斉
に灯りを点して、大野瀬戸から対岸目指して引き返しているのである。
 これで毛利軍の将兵たちも、自分たちが背水の陣の下に置かれたことを知って、決死の覚悟をさ
だめたのである。
 かくして、必勝の覚悟を胸に秘めた毛利軍将士は、博奕尾の峰にたどり着き、暁闇の中で総帥毛
利元就の攻撃命令を待っていたのである。
ほぼ同時刻小早川隊と沖家水軍も闇を利して潜入。


9月晦日深夜の毛利軍の状況


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