備後歴史雑学 

幕末剣心伝31「天然理心流・土方歳三13」

「箱館戦1」


 榎本が率いていた幕艦は、開陽・回天・蟠竜・神速・長鯨・大江・鳳凰の七艦船である。砲艦と汽
船と帆船が混じっていた。
 旗艦の開陽丸に乗艦していた者は、老中だった板倉勝静・唐津藩世子の小笠原長行・若年寄永
井尚志・若年寄並陸軍奉行竹中重固らである。

 土方歳三には顔なじみも多く乗艦していた。特に永井は京でずいぶん世話になった。
 また板倉は京の二条城にいて歳三は何度も京で会っている、二人とも温和な人柄である。
 榎本は彼らには何事も諮らず、全て松平太郎と歳三に相談した。もっとも、朝廷に出した弁明書に
ついては、歳三には話さなかった。言えば反対されると思ったらしい。

 10月19日、開陽丸は噴火湾(内浦湾)に入った。榎本は長官室に歳三をはじめ、松平太郎・荒井
郁之助・沢太郎左衛門・大鳥圭介らを集め、
「今我々は鷲ノ木村という漁村の沖にいるが、明日後続艦の到着を待って上陸する」といった。歳三
はどうして箱館へ上陸しないのかと思った。
「兵は二手に分け、本隊は大鳥君、支隊を土方君に指揮してもらいます。本隊は箱館へ直進し、支
隊は海岸沿いに迂回して湯ノ川から攻める」

 打ち合わせがすむと、榎本は去ろうとする歳三を呼び止めた。
「土方さん、あなたの隊が難路を行くことになるが、よろしく願います」
「それは気にしないが、どうしていきなり箱館湾に上陸しないのです?」
「そのことだが、箱館湾には外国の船が入っているからです。あそこの弁天砲台がわれわれに発砲
した場合、外国船に損害を与える恐れがあり、そうなっては新しい政府をつくるどころではなくなる」
「なるほど」「とうとう・・・・・」歳三は呟きかけた。
「さよう、とうとう蝦夷へきましたな」と榎本がいった。


 翌20日、遅れていた他の艦隊も到着したが、この日は降雪が激しく風も強かった。
 榎本は旧幕臣人見勝太郎・本田幸七郎の二人を呼び、兵三十名をつけて、箱館へ使者として先
発するように命じた。
 箱館には、すでに公卿の清水谷公考が府知事として赴任しており、その付属の官軍としては、松
前藩兵のほかに、弘前・備前・備後福山・越前大野の各藩兵が守備していた。
 榎本が人見らに持たせたのは、朝廷への弁明書であった。

 本隊は21日朝から上陸を開始した。歳三の指揮する支隊二百五十名は、海岸沿いに進んだが、
驚いたことにごく大雑把な地図が一枚あるだけなのである。
 歳三は、彼の支隊に配属された仙台藩脱走の額兵隊長の星恂太郎を呼んだ。星は二十代なか
ばを過ぎた年齢であった。

「星君、無理を承知でいうのだが、大鳥さんの本隊は本道を行って箱館まで十里の道のりだ、こちら
の半分以下である。普通に進めば6日もあればよい。早ければ26日、遅くても27日には北から箱
館に迫るはずだ。その時、わが支隊が戦場に達していないようでは、わが軍に勝ち目はない」
「本隊の進撃をこちらに合わせてもらえないのですか」
「それはできない」「なぜです?」
「12日分の食料を持って進むのでは、その運送のために兵力を減らすことになる。同じことはわが
隊にもいえるのだ。だから6日で湯ノ川まで行く。そのために、伝習隊よりも雪に馴れている額兵隊
に先頭に立っていただく。つまり額兵隊全員が物見をかねて進む」
「もし敵が山間に兵を伏せていれば、額兵隊は全滅する恐れがありますね」
「その通り。しかし、額兵隊の諸君だけを死なせるようなことはせんよ。この歳三も諸君と一緒に行
く」
「先生とご一緒できるなら、どういう結果になろうと本望です」
「ありがとう」歳三は星の手を握っていった。

 宇都宮以来の歳三の戦いぶりは、東北諸藩の間にもひろく知れ渡っている。だが、星は京洛に名
を馳せた新選組副長としての土方歳三に、憧憬をもって見ていたのである。


 本道を進んだ大鳥圭介指揮の本隊は、22日の夜峠下村で宿営していたとき、政府軍百名の襲撃
を受けた。
 本隊には、旧新選組の島田魁・相馬主計・野村利三郎・横倉甚五郎らが加わっていた。歳三は、
旧新選組の大半を本隊に入れたのである。

 歳三の見越した通りになった。島田は、小隊長格だったが、宿営に先立って大鳥に、半里先に立
哨することを申し出た。
 このため、政府軍が夜襲してきたとき、いち早く本隊に急報し、さらに攻め込んできた兵を通したの
ち、その背後を断った。百名の政府軍は、袋の鼠同然に討ち取られた。

 大鳥の本隊は、勢いに乗じて南下し24日夜には、七重村に達しさらに大野村を占拠して、箱館と
松前との連絡を遮断した。
 このとき、松前藩兵の一部は、突如として大軍が出現したのを見て、箱館の本陣へ急報した。
 府知事の清水谷公考は、それを聞くと縮み上がってしまった。清水谷には軍監として、松陰門下
生の一人である長州の堀真五郎がついていた。

 堀は、仙台の官軍本営から、榎本艦隊が蝦夷へ向かったという情報を受けていた。その兵力が約
三千名だということも聞いている。
 これに対して政府軍は、松前藩兵が五百五十名、他は寄せ集めの六百名にすぎなかった。全部
ひっくるめて約三分の一である。
 堀は、青森へ使いを送って援軍を求める一方、手持ちの兵で榎本軍と一戦を交えるつもりだった。
兵略の常識として、三千名の榎本軍は先陣、中軍、後詰の三隊に別れて進んでくるであろう。
 その先陣を七重村で食い止め、その間に背後から松前城の兵が襲いかかる、という作戦を立てて
いた。そして11月まで持ちこたえれば、敵軍は雪中に放置された形で身動きできなくなる。そこへ
援軍が上陸すれば、政府軍が勝つと読んでいた。

 堀は榎本軍が二手に分かれ、川汲峠から湯ノ川へ出てくるとは夢想もしていなかった。
「何かの間違いではないか」と急報してきた兵に問いただした。
「間違いではございません。賊の大将は、土方歳三である、と名乗っておりました」と申し立てた。
 堀は、即座に撤退を決意した。敵をはさみ討ちにするどころか、、逆に箱館の政府軍がはさみ討ち
にされようとしているのだ。
 堀は外国船二隻をやとい、25日の夕刻に箱館を脱出し、翌日青森へ着いた。


 26日の昼頃本隊が五稜郭に入り、ついで夕刻には土方支隊も入城した。
 榎本はこれより先、開陽以下の艦隊も箱館沖へ回航して、湾内の様子をうかがっていたが、外国
船二隻がにわかに出現したのを見るや、政府軍の撤退を推察して上陸した。

 27日全軍が五稜郭に集結し、日の丸の旗を掲げたのち、榎本は幹部を呼んで軍議を開いた。席
上榎本は、
「これより外国公館に、この地における新政府樹立を通告しなければならぬが、その前にどうしても
成し遂げておかねばならない事がござる」

 諸将は互いに顔を見合わせた。政府軍は箱館には残っていないのだ。
「松前城には藩主志摩守殿をはじめ、かなりの兵力が健在である。これを手中に納めない限りは、
蝦夷地を平定したとは申しがたい。よって一日も早くこれを攻略しなければならぬ理は、どなたもお
わかりであろう」
「しかし、各隊とも兵員は馴れぬ寒さもあって疲れ切っているのもご承知の通りです。理を取るか実
を取るか、諸君のご意見をお聞かせ願いたい」
(これが榎本流か)自分の考えを押しつけずに、衆議によって決しようというのだ。と歳三は思った。

 この軍議に出ているのは、歳三・榎本・松平太郎の他に、大鳥圭介・永井尚志・渋沢成一郎・荒井
郁之助・人見勝太郎・沢太郎左衛門・甲賀源吾らである。小笠原長行・竹中重固・塚原昌義らは出
ていなかった。旧老中やそれに匹敵する家格のものは、もはや出る幕がなくなっているのだ。
「松平君、どう思われる?」と榎本は指名した。
「そうですな。肝心なことは、雪で身動きできなくなる前に松前城を攻略できるかどうかでしょう。つい
ては、戦さ巧者の土方さんにうかがってみたい。松前城を短期間に落せるものかどうか」

 この席に出ていることにおいては、歳三の右に出る者はいない。戦さ下手で定評のあった大鳥
は、峠下村の一戦でかろうじて面目を保ったが、それも歳三が付けた島田らの働きがあったからで
ある。松平がそういうのも、ごく自然だった。
「土方君、いかがです?」と榎本がうながした。
「これはまた迷惑なお尋ねですな」「迷惑とは?」
「城が落ちるか落ちないか、そのようなことは、この土方にはわかりかねます。はっきりしているの
は、松前城を取らねば、われわれの新しい政府ができないというのであれば、遮二無二取るしかな
いということではありませんか。それとも、取れそうもなければ、ここで諦めて薩長に降伏なさるおつ
もりか」
「土方君、そんな気は誰にもない」と大鳥がいった。
「それは結構。ならば道は一つ。準備の出来次第、松前城へ向けて兵を進めることです」
「では、その指揮を執っていただけるか」と榎本がいった。
「おことわりする」歳三は一言のもとにハネつけた。
「これは困りましたな」榎本は心底から困惑した様子だった。
 ほかの者は無言だった。勝てるという自信がないのである。

 彰義隊出身の渋沢成一郎、伝習隊の人見勝太郎の二人が膝を進めた。
「土方さん、なぜ断るのです?衆目の見るところ、おそらく防備を固めている松前城を落せるのは、
あなたしかいない」
「榎本さんも同じ考えだからこそ、指揮を執ってほしいといっているのではありませんか」と二人がこ
もごもいった。
 歳三は苦笑して、「戦さは、わたし一人で出来るものではない。それだけのことだ」

 榎本はさすがに悟ったようだった。
「土方君のいう通りだ。蝦夷地における独立まで、全ての責任と指揮は、不肖この榎本がとります。
松前へは、開陽・回天・神速の三艦をもって海から攻め、その指揮はわたしがする。陸路は、土方君
が星・渋沢・人見君らの諸隊を率いて進む。これをもって、軍議は終りである」
 と榎本は宣言した。


トップへ戻る     戻る     次へ



inserted by FC2 system