備後歴史雑学 

幕末剣心伝2「勤皇刀」

 桜田門外の変をきっかけに、刀は長く鋭く変貌し、乱世の再来のごとく、実用のものとして真
の性能と威力を現した。


 刀は時代によって、次の四期に分類される。
一、古刀  慶長以前の刀、文禄までが古刀。
二、新刀  慶長以降、江戸時代前・中期までの刀。
三、新々刀 江戸時代後期の刀。
四、現代刀 明治以降の刀。
 大まかにこの四期に分類されるが、鎌倉期と南北朝期と室町後期では、それぞれ時代の戦闘背
景によってさらに分類されている。

 また、秀吉による朝鮮の役の間でさらに分類され、慶長期のものは慶長新刀と呼ばれている。
 現代刀でも、今現在活躍中の刀工のものを新作刀といいます。


 また日本刀は、長さによって次の三種に分類される。
一、刀   刃長二尺(60,6センチ)以上のもの。
二、脇差 刃長一尺(30,3センチ)以上二尺未満のもの。
三、短刀 刃長一尺以下のもの。
 この三種に分類されるが、刃長が二尺近くある脇差のものを大脇差という。
 短刀で一尺超のものを寸延短刀という。


 刃を上に向けて帯に差すのが刀であり、刃を下に向けて帯から吊るすのが太刀である。太刀は古
刀期に造られ、馬上戦で使えるよう長く、また反りが強い。
 刀に定寸(じょうすん)という専門語があり、これは刃長二尺三寸(69,7センチ)をさし、標準寸法
という意味である。
 江戸の泰平期日本人男性が刀を帯に差した場合、最も使いやすい長さの平均が定寸であった。

 外国奉行を務めた水野痴雲(忠徳)の回顧談によると、井伊大老が桜田門外の変で殺されたあ
と、誰もが定寸以上の長い刀を買い求めるようになったという。
 世の中が物騒になって武士はまた、長い刀を必要としたのである。


 新々刀期の末期に造られた刀で、特に刃長が長く、中心(茎)も長く、反りの少ない、切先が延び
た(切先が鋭く、突きに用いた場合、どこまでも深く貫く)姿のものを勤皇刀という。
 勤皇刀は幕末動乱の時代、志士たちが好んで差した刀で、武器であると同時に、自分たちのもつ
勤王の志を具体的に表す象徴でもあった。

 土佐の長刀といって土佐藩士の刀が長いことは有名であった。また水戸藩士の刀も長かった。
 水戸学による勤皇思想の広がりと共に、勤皇刀も格藩へ流行していったのである。
 高杉晋作の有名な写真の刀もすごく長いです。

 個人的に所有している刀に勤皇刀があり、刃長約78センチに対して反り1,2センチしかなく、中
切先延びて、非常に重いです。
 歴史の動乱期は古刀も身幅広く、大切先の実用向きの姿をしています。


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