備後歴史雑学 

[伊予・松山城]
種別:平山城 別名:勝山城



 松山城は道後平野の中央、標高132メートルの勝山山頂に築かれた平山城。美しさと堅固
さを兼ね備えた名城である。

 この地は戦略上の要点であるので中世以来諸豪族が占拠していたが、近世に入って天正12年
(1584)に長曾我部氏に統一されて所属した。
 豊臣秀吉の四国征伐のあとは小早川隆景や福島正則がいたこともあるが、文禄4年(1595)に
加藤嘉明が六万石でこの地に封ぜられ、松前(まさき)をその居城にふさわしく修築した。
 その後、関ヶ原合戦の戦功で二十万石に加増されると、松山地方の中心勝山の頂上に新たに城
を築いた。
 このため当初は勝山城と呼ばれたが、嘉明は山中に松の木を植えて城の名称も縁起をかついで
松山城と改めた。

 加藤嘉明は慶長7年(1602)より工事に着手し、松山城の築城に26年もの歳月をかけた。その
理由の一つは、山上に資材を運ぶ手間と、そして複数峰であった勝山山頂を平らにならす大工事が
必要であったといわれている。
 寛永4年(1627)松山城が一応完成したが、この年に嘉明は会津四十万石に転封する。
 替わって同年に蒲生忠矩が入封したが、蒲生氏は跡継ぎがなく7年で廃絶。
 そのあと伊勢桑名から松平(久松)定行が入城して、天守の改築や石垣・櫓などの工事を行い、そ
の後は世襲して明治維新に及んだ。
 したがって建築には各時代のものが混在する。

 加藤嘉明が建てた五層の壮大な大天守は、寛永16年(1639)松平定行によって三層に改築さ
れた。幕府へ遠慮してのことという。
 その大天守も天明4年(1784)、落雷による火災で焼失。現在見られる大天守は嘉永5年(185
2)前後の再建によるものである。
 松山城は本丸曲輪の中に天守を中心としたもうひとつの曲輪がある。大天守を中心に小天守・南
櫓・北櫓などを渡櫓で結んだ連結式天守になっており、本丸本壇をつくっている。
 登城するには大天守を正面に見て、右側の一の門から枡形を経て左へ曲がって二の門をくぐり、
逆方向に進んで三の門、さらに筋鉄門を経て内庭へ入り、天守内曲輪の玄関へ入ることになる。
 天守曲輪の建物は昭和8年に火災に遭っているが、大天守と一の門・二の門などの諸門及び諸
門に付帯する櫓などは往時の姿をとどめており重要文化財である。
 小天守南櫓・北櫓などは再建されたものだ。
 天守曲輪の初期の形式は解からぬそうだが、現在の石垣は慶長期のものでは無く、相当改築さ
れているようだ。

 松山城にはロープウエイやリフトで登るのが一般的だが、これは大手門は通らない。本来の登城道
は山麓の二の丸からつづら折れの道を登って大手門へと向かう。
 城の縄張りは複雑で、大手門からの登城道は天守を正面に見たり逆方向に進んだりと、何度も進
路を変えさせられる。
 大手門跡から正面に天守を見ながら進み、途中で逆方向に戻る形で登ると戸無門(門扉がない)
をくぐると左に筒井門。
 筒井門は右手の石垣の背後に隠門がある。堅固な櫓門の造りになっている筒井門に敵が殺到す
ると、脇の隠門から城兵が敵の側面を突くという造りになっている。
 戸無門・隠門櫓は重要文化財。
 本丸でも一の門から大天守が目の前に見えながら、右へ左へと複雑に折れ曲がった道筋をたどら
ないと到着しない。迷路のような造りで、姫路城同様の複雑さを感じる。

 松山城の二の丸は加藤嘉明が築いた藩主の居館があったが、松平氏の時代には居館はさらに
平地の三の丸に移り、二の丸は政務の場などになっていた。
 大手門跡からつづら折れの道を下ると二の丸であるが、現在は二之丸史跡庭園になっていて、庭
園には石組などによって御殿跡の間取りを示す区割りが見られる。
 また、東西18メートル・南北9メートルの巨大な井戸の遺構がある。



 松山城の画像


ロープウエイ乗り場から登ると最初に現れる石垣と櫓


登城道最初の石垣


登城道が平坦になります


右に曲がった登城道と石垣:先に見えるのは新郎新婦さんです


太鼓櫓が見えました。急な登りで、先で180度右に曲がります。


180度曲がると戸無門です。


戸無門上から見た太鼓櫓


筒井門です右に隠門があります。左が戸無門


内より見た隠門櫓と筒井門櫓


内より見た太鼓門。紋付袴姿の新郎と白無垢姿の新婦さん。お城で結婚撮影とは珍しいです
ね。この日(9月20日)は暑い日でした。お顔の撮影は遠慮しました。


大天守と小天守


天守曲輪に入ります


大天守南面。左は小天守、右に一の門


一の門に入ります。入って桝形を左に登ると二の門


左の二の門を入り逆方向(画像正面)の三の門に入る。右は大天守


三の門を入りすぐ右が筋鉄門


中庭に入る。天守内曲輪の玄関多聞


中庭より大天守を見上げる。右が筋鉄門


玄関と裏への渡櫓門。右大天守下が現在の入り口








上四枚は大天守最上階から眺めた松山市街


小天守を見下ろす


天神櫓を見下ろす


北西より大天守を見上げる。右渡櫓門を出た所。左の門の名不詳。


大天守北側より先の裏門を見る

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