備後歴史雑学 

幕末剣心伝32「天然理心流・土方歳三14」

「箱館戦2」

 箱館を占領した旧幕府艦隊は榎本を総裁とする蝦夷地「共和国」が成立し、土方歳三は陸
軍奉行並に任命され松前城攻略戦や二股口防衛戦を指揮する。

 10月28日、歳三は約七百名を率いて松前城攻略に出発した。11月5日の昼前に、歳三指揮の
七百名は松前に達した。
 この時、蟠竜丸が箱館から来航して城を砲撃した。城方の砲台もこれに応戦した。この城は、安政
元年(1854)10月に築城したので、海防の機能があり砲台が海へ向いていた。その数弾が命中
し、蟠竜丸は沖へ退いた。
 土方隊は、蟠竜丸の砲撃と前後して攻めかかった。歳三は、渋沢に搦手をゆだね自分は星ととも
に大手門に向かった。

 城方は土方隊の攻撃に対して、奇妙な戦法をとった。大手門の内側に前藩主伊豆守崇広が鋳造
した大砲二門を据え、攻め方が射程距離に入ると門を開いて押し出し、発射した。それが終ると急
いで門内に引き戻して城門を閉ざす。
 その間に大砲に弾をこめ、攻め方が再び進むと門を開けて押し出し、発射するのである。
 歳三は「やるな」と苦笑し、すぐに伝令を渋沢のところに送り、
「城の裏手にある小山を占領して、城中へ小銃を撃ちこめ」と命じ、
 自分は星直属の銃隊を連れて大手門の全面へ出た。
「額兵隊の小銃は元込めだ。あの大砲に勝てるぞ」「まさか」星はあきれた。
 歳三は門の開閉の間合いを測っていた。
「星君、腕のいい銃手を20人選んでくれ」すぐに星は指名した。歳三はいった。
「敵が門を閉じかけたら、二手に分かれて突っ走るのだ。おそらく城門五十歩のあたりで開く。その
時、右半隊は右の砲の砲手を、左半隊は左の砲手を狙って撃ちまくれ。いいか、決して立ちどまって
はならん。走りながらでも撃ち、門内に飛び込むのだ」
 歳三は様式軍衣に帯を巻き、刀を差した。「星君小銃を」歳三は銃を手にして伏せた。
「よし。声を挙げよ」星隊が、「うおーっ!」と吶喊の声を発した。

 城門が開き、大砲が唸り声を発した。轟音と同時に砲弾が炸裂し、星隊の後列の兵が何人か吹っ
飛んだ。すぐに門が閉まった。
 歳三は左手に大刀を、右手に銃を持って駆けた。星と20名の銃手が続いた。
 門が開いたときには、攻め方は十歩のところに達していた。「あっ」城方が仰天の声を発したとき、
星隊の一斉射撃が轟きわたり、砲手はバタバタと倒れた。
 あわてて門を閉じようとするより早く、歳三は飛び込み気合いもろとも斬った。このとき、後方の山
を占領した渋沢隊が銃砲撃を開始した。城方は大混乱に陥った。
「もはやこれまで」城方は敗兵をまとめて北の江差へ逃げた。わずか半日の戦闘であった。

 松前は落城したが、江差・熊石にはまだ敵軍がかなりの兵力を有して抗戦の姿勢を示している。
藩主の松前志摩守徳広もそのどちらかにいるはずだった。
 守将をつとめた蠣崎民部の抜け目のない戦いぶりから見て、金銀財宝の類はとっくに避難させて
あるだろうが、食料は籠城覚悟だったからかなりの備蓄があるはずだった。
 歳三は巡察に出た。そこに志摩守徳広の正室と奥女中たちが取り残されていた。
 志摩守徳広は土方軍の攻撃の前に城を脱出していたが、夫人は身重であるために、城に残され
た。たった半日で落城するとは考えていなかったらしい。
 歳三は外へ出ると星恂太郎に事情を説明して、信頼できる部下を選んで函館の榎本の元へ、取り
残された彼女たちを送り届けた。


 歳三は11月6日、松前を発して江差へ向かった。江差までは十八里である。途中に大滝山とうい
山があり、蠣崎の指揮する松前兵がこの山に大砲を据えて待ち伏せしていた。
 蠣崎が早めに城を棄てたのも、この地形を利用して土方軍を撃破しようという企てをもっていたか
らなのである。
 歳三はひとまず兵を後退させ、星ほか各隊長を招いて作戦会議を開いた。先を急いだので、松前
城で押収した大砲は持ってこなかった。正面からの攻撃は無理であった。ここは海軍に出撃してもら
い、敵の背後の江差を占領してもらえば、大滝山の敵軍は自然と立ち枯れになる。
「それも一策だ」と歳三はいった。「ほかに策がありますか」と星がたずねた。
「敵の背後を突くという考え方は正しい。だが、それを海軍に頼むというのは賛成できんな」
「では、どうしようというのですか?」
「わたしが山麓を迂回して敵のうしろに回るよ」と歳三はあっさりいった。
 この作戦は、口でいうほど容易なことではなかった。敵に発見されたら全滅する恐れがあった。歳
三は二百名の兵を選び、星には、
「明日の朝から銃隊で正面攻撃をしかけてくれ、ただし、本気で攻める必要はない、夕方までに攻撃
と退却を七・八回繰り返してくれればいい」星は承知した。

 歳三は翌早朝二百名を率いて出発した。道なき道を北進し、夕刻までに大滝山の北山麓に到着し
た。その夜は宿営し、翌未明に行動を起こした。
 突然の奇襲に松前兵たちは、ほとんどなすところなく敗退した。
 歳三が本隊と合流したとき、星から報告を受けた。歳三が出発したあと、渋沢が提案して松前城
へ砲隊の応援を求める使者を送った。その使者の要請が、思いもかけない惨事をもたらすことにな
った。
 使者が到着したとき、箱館を出港した開陽丸が寄港し、榎本が上陸していた。榎本は江差を海上
から砲撃するつもりだったが、大滝山での苦戦を聞くと、予定を早めて夜中に出港した。
 江差沖に到着したのは、夜明けであった。しかし、この日は北風が猛烈に吹き荒れ、午後からは
降雪も激しくなった。
 榎本は上陸をあきらめ、ひとまず錨を下ろした。夕方になると完全に暴風雪となった。そのため開
陽丸の錨が切れ、浅瀬に乗り上げた。
 風浪がおさまったのは三日後だった。榎本らはようやく上陸できたが、江差はすでに土方隊が占
領していた。開陽丸は何の役にも立たなかったのである。
 
 浅瀬に乗り上げた開陽丸は、風浪のために船体が傾き、機関がなかば海底に埋もれてしまった。
榎本は何とかして離礁しようと操艦したが、艦は動かなかった。
 榎本は電信を送って、箱館から回天丸・神速丸を呼び寄せ、二艦に開陽丸を曳航させようとした
が、運の悪いことに、この作業をはじめて間もなく再び風浪が強くなり、そのために小艦の神速丸が
座礁してしまった。
 浪風はいっこうに収まらず、浅瀬に乗り上げてから十日後に開陽丸はついに船体そのものが破損
してしまった。北海の大自然の猛威であった。
 開陽丸は排水量二千八百十七トン、四百馬力の補助機関をもった三本帆柱の軍艦で、砲二十六
門を備えていた。当時としても優秀な戦闘艦であり、官軍にとっては最も恐ろしい存在であった。
 また榎本が独立政府を作ることを考えたのも、この強力な艦があればこそだった。
 榎本艦隊として戦闘艦として使えるのは、いまや回天・蟠竜・千代田形の三隻だけとなった。残り
の長鯨丸らは、運送船だった。


開陽丸の復元模型:全長72,8メートル、幅13メートル、速力10ノット。

 土方軍と江差に入城した松岡四郎次郎の隊は、19日に熊石へ向け進発した。
 志摩守徳広はこれを知ると、熊石から小舟に分乗して津軽へ逃れた。乗り切れなかった五百名
は、土方軍に降伏した。
 蝦夷地はいまや完全に、榎本の支配下に置かれることになった。
 12月25日、榎本は百一発の祝砲を放って蝦夷地平定を祝い、臨時行政府を設けることを宣言し
た。行政府であって、独立政府ではなかった。
 榎本としては、日本の一部ではあるが米国の州政府と同じように、外交を除いた権限を有するも
のとしたのである。
 この日榎本は、士官以上の者全員の投票によって、総裁の選挙を行った。
 一位は榎本であった。総裁となった榎本は、以下の人事を発令した。
 副総裁    松平 太郎 
 陸軍奉行  大鳥 圭介
 海軍奉行  土方 歳三
 軍艦奉行  荒井 郁之助
 箱館奉行  永井 尚志
 開拓奉行  沢  太郎左衛門
 松前奉行  人見 勝太郎
 江差奉行  松岡 四郎次郎
 歳三は、
「総裁にお尋ねしたい。私を海軍奉行にというが、何かの間違いではないだろうか」
「いや、間違いではござらん。土方さんには、来年の春には予想される来島軍との戦闘で主力とな
る海軍の指揮を執っていただく」
「そういわれてもね、私には海軍のことはわからない。荒井さんが軍艦奉行となっているが、海軍奉
行を兼務してもらう方がはるかにいい」
「なぜそういえるのです?」
「海や軍艦のことに無知のものが命令しても、船員はいうことをきかんでしょう。そうなると私の命令
に従わぬものを斬らねばならぬことになる。私はやはり、陸軍がいい」
 大鳥が不快そうに横を向いた。
「余計なことかもしれないが、私は陸軍奉行にせよ、といっているのではない。奉行並ということで結
構です」と歳三はいった。
 榎本はほっとしたように、「では、そのようにお願いする」といった。

 行政府はできたものの、榎本が困ったのはこの行政府に金がないことだった。江戸を脱走すると
きに積んでおいた軍用金は、これまでに大半を費消していた。
 そこで榎本は、外国船に入港税をかけることにしたが、冬になって入港する外国船はめっきり減っ
ている。とうてい行政府の費用を賄うことは不可能だった。
 困りはてた榎本は、
「町民のすべてに税金をかけるしか財源はないが、どうしたものであろう」と各奉行に諮った。
「致し方ありませんな。背に腹はかえられぬ、ということです」と大鳥がいった。
 たまりかねて歳三はいった。
「そりゃ、やめた方がいい。税をとるのはいい。しかし、人頭税だけは絶対にかけるべきではない。
われわれの政府がいつまで続くかわからないが、その悪名は永久に消えぬでしょうな」
 いつまで続くかわからぬとは、思い切った発言であった。
「土方さんにはかなわない。たしかにその通りだが、ほかにいい案がありますか?あったらお聞か
せ願いたい」
「ありますよ。娼家が箱館にも松前にも江差にもある。そこから、娼妓の人数に応じて税を徴収する
のです。この税ならば、一般町民は不服をいいません。かえって喜ぶものもいるなずです」
「なるほど」
「ほかに賭博税というものもある。テラ銭を取っている胴元から税をとればよろしい」
「名案です」と榎本は即座に裁断を下した。

 散会してから、榎本が歳三を呼び止めた。
「じつは、江戸から手紙が届いた。文中あなたにも礼をいってほしい、とある」
「誰からです」
「松前藩主の奥方からです。そして、江戸の動きも細かに伝えてくれている。どうやら、彼らは甲鉄艦
をアメリカから申し受けることに成功し、3月になるのを待って、こちらへ回航してくるらしい」
「甲鉄艦を?」「そうです。ストーンウオール号です」と榎本は沈痛にいった。
 アメリカは新政府の要求をことわって中立を守っていたが、北海道を除く日本全土を完全に掌握し
たのをみて、残金支払いを条件に引き渡しに応じた。
 排水量は千三百五十八トンで、回天と似たようなものだが、艦体は甲鉄で強化されており、弾丸を
はねかえす。機関は千二百馬力で、三百ポンドの巨砲をもっている。
「榎本さん、甲鉄艦がくれば、どうにもなりませんか」
「正直にいって、歯が立たない。負けですな。海戦に関する限りは、負けると思います」
「回天の砲弾では、甲鉄を破れませんか」「無理です」
「甲鉄艦は江戸を出ると、どこへ寄りますか」
「仙台のあと、宮古、青森に寄るでしょう」「宮古に?」
「さよう。仙台以北では、あの湾しか大艦隊が寄れる港湾はない」
「われわれが寄ったところですな。あそこに敵が寄るのであれば、わが軍にも勝ち目はある」
「土方さん、あの湾内での艦隊決戦は無理です」
「わたしはね、甲鉄艦の奪取を考えたのです」
「奪取を?どうやって奪取するのです?」
「回天らに、わたしたち陸兵を乗せて行くのです。そして、甲鉄艦にぶつけてもらう。あとは任せてい
ただきたい」
 榎本はうなずいた。彼としても歳三の作戦に賭けるしかなかったといっていい。



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